「若い頃だったら、ボルダリングは続かなかったかもしれない」。リッジラインで、そんな話を聞くことがあります。若い頃の方が体力はあったし、体も今より動いた。新しいことを始める勢いもあった。それなのに、なぜ今の方が楽しめるのでしょうか。
体力や運動能力の話ではなく、年齢を重ねる中で、物事との向き合い方が少しずつ変わってきたからかもしれません。すぐに結果が出なくてもいい。人と同じ速さで進まなくてもいい。今日できなくても、また次に試せばいい。そう思えるようになった今だからこそ、ボルダリングのおもしろさを長く味わえることがあります。
若い頃は、早く結果を出したかった
新しいことを始めると、早く上達したいと思うものです。周りの人よりできるようになりたい。何度か練習すれば、すぐに形になってほしい。うまくできなければ、自分には向いていないと思ってしまう。
けれどボルダリングでは、始めてすぐにすべての課題が登れるわけではありません。同じ課題に何度挑戦しても手が届かない。足の置き方がわからない。あと一手のところで進めない。
若い頃なら、その「できなさ」を受け入れられず、早い段階でやめていたかもしれません。
40代になると、ゆっくりした変化を楽しめる
40代、50代になると、若い頃とは違う見方ができるようになることがあります。
今日は登れなかったけれど、前回より一手進めた。足の位置を変えたら、少し体が楽になった。力任せではなく、バランスで登れた瞬間があった。そうした小さな変化を、以前より素直に喜べるようになります。
すぐに登れない課題があっても「また次に試してみよう」と思える。上達がゆっくりでも、その過程を楽しめる。できないことに焦るより、少しできるようになったことを見つけられるようになったのかもしれません。
人と比べても、あまり意味がないとわかってくる
ジムには軽やかに登る人もいれば、自分より後に始めたのに難しい課題を登れる人もいます。周りを見ると、比べたくなることはあります。
けれど年齢を重ねる中で、人にはそれぞれ違う背景があることもわかってきます。体格も、運動経験も、通える回数も、得意な動きも違う。同じ課題を登っていても、条件は一人ひとり違います。
そう思えるようになると、上手な人を見て落ち込むのではなく、「その動きは使えそう」「自分ならどう登れるだろう」と参考にできるようになります。競う相手が周りの人ではなく、前回の自分になる。それが大人になってからの楽しみ方の一つです。
できない時間も、楽しみの一部になる
ボルダリングは、できた瞬間だけが楽しい遊びではありません。どうすれば登れるか考える。ほかの人の動きを見る。足の位置を変えてみる。少し休んで、もう一度試す。登れない時間の中にも、たくさんの発見があります。
何度も挑戦した課題が登れたときには、簡単にできたものとは違う喜びがあります。若い頃は結果だけを見ていたかもしれません。今は、できるまでの時間も含めて楽しめる。その変化が、長く続けられる理由になることがあります。
「今日はここまで」と言えるようになる
若い頃は、疲れていても無理をしたり、周りに合わせて頑張りすぎたりすることがあります。40代以降になると、自分の体調や生活のペースを考えながら「今日はここまでにしよう」と判断できるようになる方が多いように思います。
調子が出ない日は、簡単な課題を登って帰ってもいい。休憩を長めに取ってもいい。一つの課題だけ試して、また次回にしてもいい。毎回成果を出そうとしなくても、ボルダリングは楽しめます。自分の体と相談しながら続けられることも、大人の趣味としての心地よさです。
若い頃に始めなかったことを、残念に思わなくていい
新しい趣味に出会うと「もっと早く始めていればよかった」と思うことがあります。体力があるうちに始めていれば、もっと上達できたかもしれない、と。
けれど、若い頃には若い頃の生活がありました。仕事に追われていた。子育てで自分の時間がなかった。ほかに夢中になることがあった。そもそも、ボルダリングを知る機会がなかった。
そして今、少しずつ自分の時間が持てるようになり、人と比べすぎず、自分のペースで楽しめるようになった。だからこそ、今このタイミングで出会ったのかもしれません。
今だから、この楽しさがわかる
リッジラインでも「若い頃だったら、登れないことが嫌になっていたと思う」「今だから、できない時間も楽しめる」という声を聞くことがあります。
もっと早く始めればよかった、ではなく、今だったから続けられた。今だったから、この楽しさがわかった。そう思える趣味になることもあります。
すぐに上達しなくても大丈夫です。登れない日があっても、前回より少し進めたことを楽しむ。年齢を重ねた今だからこそできる、そんなボルダリングの楽しみ方があります。

